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ゴミ拾いおじさん

 住まいの近くに地蔵川という川があり、そのたもとに

小さな駐車場がある。

深夜、若い人たちがこの辺りにたむろしているらしい。

この駐車場の辺りはいつもゴミが散らかっている。

コンビニの袋やチョコレートの箱やジュースの缶などが

毎日のようにあちこちにある。

歩道の街路樹の一本、一本の間に続いているつつじの

植え込みにも、ごみが目につく。

 このゴミが気になりだした。

転がっているジュースやコーヒーの缶を拾い、

自動販売機横の缶容れに捨てている。

通る度に毎日やっていたら、

捨てられていた缶はなくなった。

住まいから橋を過ぎた信号の角までの100メートルほどの

歩道や植え込みに、ジュースやコーヒーの缶は

消えた。

缶がなくなると、今度はタバコの箱やパンの袋など

道路に捨てられている紙類などが気になってきた。

ゴミを捨てる人はそこにすでにゴミがあれば

自分も捨てても構わないだろうと思う。

きれいな場所ならゴミを捨てることにためらいを

覚えるはずだ。

捨てる、拾うの追いかけっこだなと思いながら、

紙を拾うことにした。

家を出るとき、小さな袋をポケットにいれ、

地面の紙をそこにいれ、自宅のごみ袋に

入れることにしている。

 この町に住んで40年近いのに

缶や捨てられた紙を拾い始めたのは

つい最近だ。

たぶん、これは老化現象だろう。

気になるとどこまでも気になりだす

というのは、老人の頑固に通じる。

缶も紙もなくなったとして、さらに気に

なるのはタバコである。

さすがに手で拾っていてはきりがない、

家から箒でももってきてやるしかないが、

そこまでやるのだろうか。

へたをするとゴミ拾いが正義の味方に

なりかねない。

危険信号だ。

頭の隅で悩んでいる。