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14-07

14-07

 昼休みに教室へ来た女の子の正体を確かめようとした月宮。前情報として、その女の子が探していた市川は、月宮のクラスで図書委員をしている。教室へ来た時の様子から、その子も図書委員なのだろうと予想が付いた。だから市川を訪ねてきたのだろうと思われる。そしてその子は帰り際に、放課後に部室で会えると言っていた。市川の部活動に付いては、前に部長会議の場で、文芸部の副部長として出席しているのを見た覚えがある。部長がどうしても動けない時に代わりを務めるのが副部長。部員なのは間違いない。部室で会えると言うのだから、その子も部員であると考えるのが自然。つまり、手元にある資料の中から図書委員の名簿と文芸部の名簿を照らし合わせて、市川以外でその両方に名前を連ねている人物が、今探し求めているその子の名前であるはず。

 ……残念ながら、市川以外でその両方に所属している名前は見付からなかった。勿論、そんなに上手く行っていれば、たくさんの名簿を広げる必要が無いわけで。頭を抱え、悩み、唸り声をあげながら、次の一手を模索する。

 まず気が付いたのが、市川が文芸部の副部長をしているからと言って、その部の後輩とは限らないのではないか、と言う可能性だ。市川が複数の部活動に所属している場合、あの女の子が言っていた部室が文芸部のものとは限らなくなる。

 本学では、生徒が部活動を兼部することは制限されていない。流石に部長や副部長を兼任することは出来ないが、平部員であればいくつでも所属することが出来る。とは言え、あっちこっちに入部しても活動への参加率が落ちるだけなので、あまり一般的ではない。一般的ではないが、最近の生徒会ではこのルールが問題視されている。

 例えば、ここに美術部の名簿と書道部の名簿がある。どちらも若干五名で構成された弱小部だが、実はこの二部、並び替えられているだけで部員の顔触れが全く同じなのだ。本学には四月時点で部員が五人未満になると部の存続を認めないルールがあるので、それを回避するための策なのは分かる。でもここまで同じだと、活動内容も同じになってしまい、一部からは部費の二重取りではないかと言う批判の声もある。

 話がそれた。今はたまたま美術部と書道部の例をあげたが、実はこの共通する五人の中に市川が含まれていたのだ。確か美術部の部長は図書室の常連だったか。こんな風に、各部ごとにまとめられた名簿の場合、各部の部員数は直ぐに分かるけれど、特定の誰かが入部している部を調べるには、一通り全ての部を見て回ることになってしまう。他にもある気がして調べるのを続ける。市川が教室で仲の良い南田は演劇部の部長。まさかと思って演劇部の名簿を見るとしっかりと市川の名前が。市川のことを高く評価する担任の和田先生は将棋部の顧問。その将棋部の名簿を見てもここにも市川の名前が。更に遡って、市川の一年の頃の担任の三宅先生はバスケットボール部の顧問。そのバスケットボール部の名簿見てみる。流石に、運動部には手を出していないのか。

 思い付く限り、手当たり次第に部を調べた月宮。資料は散らかり、どれが既に調べたもので、どれがまだ調べていないものか判断が付かなくなる。いつの間にか、目的が市川の入部している部を探すことに差し替わり、照らし合わせて女の子の名前を探すこと自体を忘れてしまう。

 だけど月宮は探すのを止めない。市川がしている部活動に、もう少しだけ心当たりがあった。それがまだ見付かっていない。一年生の時に連れて行かれた、ゲームばっかりやっている集団。月宮にとっては、あまり思い出したくない出来事、思い出したくない顔触れではあるのだが。