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世襲と才能の登用の間で揺れ動いた日本人の人事問題を考察し、その結果誕生したのが、結果として続いてきた万世一系の天皇という知恵であることを論じていている>『天皇はなぜ万世一系なのか』<知恵なのかなぁ

?『天皇はなぜ万世一系なのか 本郷和人/著(文藝春秋)』を読む その1

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2011/2/27(日) 午後 1:07

社会科学

歴史

.イメージ 1天皇はなぜ万世一系なのか

平成の御世で百二十五代目、皇統は連綿とつづいてきた。その権力統治構造をつぶさに見ると、あることに気づく。はたして日本で貴ばれるものは「世襲」なのか、そ

れとも「才能」か?日本中世史の第一人者がその謎を解き明かす両期的日本論!

本郷和人(ほんごう かずと)

1960年、東京生まれ。東京大学史料編纂所准教授.東大文学部・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し、日本中世史を学ぶ。専攻は中世政治史、古文書学。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当。主著に『中世朝廷訴訟の研究」(東京大学出版会)、『天皇はなぜ生き残ったか』(新潮新書)、『新・中世王権論』(新人物往来社)、『武力による政治の誕生』(講談社選書メチエ)、『武士から王へ』(ちくま新書)などがある。

本書は所謂皇国史観の本ではございません。世襲と才能の登用の間で揺れ動いた日本人の人事問題を考察し、その結果誕生したのが、結果として続いてきた万世一系天皇という知恵であることを論じていている本です。

わたくしは、保守主義者で尊王思想を支持していますが、神話としての万世一系ではなくシステムとしての万世一系の皇室という知恵を支持したい。

本書は中世の貴族社会や僧侶の人事にかかわる実例を上げ、人事は日本人の一大関心事であったこと。そのなかで中堅貴族は生き残る為に専門職をみつけ家業としたり、武士は所領を安堵する為に命を懸けて戦い、所領を世襲する。人事において才能と世襲をうまくバランスをとる難しさはいつの世も同じであると思ったのであります。

(1)朝廷における権勢とは

p154〜156

これまで色々と書き並べてはきたのですが、これらは実に簡単にまとめることができます。日本の支配者層、貴族や武士についてみるならば、世襲は圧倒的に強力な理念であった、結局はそれに尽きるのです。

中国大陸では科挙が実施され、新しい才能が絶え問なく補充される。彼らは官僚として出世を競いながら、総体として皇帝の権力を支えます。ですから、皇帝権力は彼らのサポートを受けて、他の権力者を圧倒することができる。これに比べて日本では才能を基準としての登用や抜擢がない。権勢を得た者は自己の権力を子孫に伝えることをくり返しますので、代を重ねるごとに抜きがたい勢力を築いていきます。天皇も、後の世の将軍も、彼らの存在に手厚い配慮をする必要があるのです。

時間軸に添って、日本の「権力のかたち」を見ていきましょう。古代に導入された律令制は、本来は天皇だけをただ一人の王とし、その前ではすべての人が臣として横並びであるという「一君万民思想」を標榜していました。それは経済的には、全ての土地と民百姓は天皇の所有に帰するので、権勢者が勝手に私有したり世襲できないという「王土王民思想」になります。

東アジアに見られる律令国家は、?土地を貸与(班出という)し、その見返りとして?税を納入させ、?兵役を課す。また、これを国内で均等に行うために?地方行政制度を確立する。この四つを基本的な要素として有しています。ところがこれを満足させるためには、「1、法の整備」と、「?、多くの官僚の育成」がどうしても必要になるのです。

ところが、日本では、もう何度もくり返していますが、官僚の育成を行わなかった。ですから、律令制は社会に根付くわけがなかった。大宝律令の制定は七〇一年ですが、早くも七四三年には、土地の私有を認めた墾田永年私財法が作られています。最近の古代史の研究者は、この法は律令制が進展するのを側面から援護したもの、との評価を与えているようですが、どうも木を見て森を見ない議論であるような気がしてなりません。先にも記したように、律令制の基本は「王土王民」です。それがもう破綻している、と考えるのが本筋ではないでしょうか。実際にこれ以降、私有地に近い荘園が各地に設けられ、その数は増加の一途を辿っていきます。

平安京への遷都が実現し、平安時代が始まると、律令制の衰退は次第に明らかになっていきます。右記?、朝廷の直轄軍は姿を消していき、?も有名無実になっていく。九〇〇年頃には、国司が任地に赴かなくなります。県知事は東京で賛沢に暮らしていて、現地は部下に任せきりにしているようなものです。?については、醍醐天皇が九〇二年に実施した班田が最後、といわれています。

こうした状況の中で、「一君万民」というありかたにも、揺らぎが生じてきます。天皇の政治的な突出に歯止めがかかり、実力を蓄えた貴族たちが台頭してきます。その代表が摂政(天皇が女性、もしくは子どものときに置かれる)や関白(天皇が成人男性のときに置かれる)として天皇権限を代行する、藤原北家の一流です。

下克上というけれど

p172〜173

いかに実力重視の戦乱の時代とはいえ、やはり家柄が大事だったのです。

それは大名家だけではなく、大名を支える家臣団にもいえることです。強力な軍隊や支配体制を作るために、大名たちは才能をどんどん抜擢したでしょうか。いいえ、そんなことはできませんでした。名もない素浪人を重く用いたりしたら、有力な国人領主たちが納得しません。彼らの協力を得られなければ、大名は自滅する他ないのです。だから大名たちは、従来の秩序を無視するわけにはいきませんでした。

数多い戦国大名の中でも、才能の抜擢ができたのは、わずかに武田信玄織田信長くらいではないでしょうか。信玄は有能な家臣に伝統ある家を嗣がせ、重臣として用いました。山県昌景(謀反人として処罰された飯富虎呂の弟)、馬場信春(もと教米右氏)、香坂昌信(豪農の出身)がこれです。より大胆な抜擢をしたのはいうまでもなく織田信長で、羽柴秀吉滝川一益がこれにあたります。明智光秀も土岐源氏とはいうものの、出自が確かではないようです。

まとめましょう。戦国時代の戦乱によって、伝統的な秩序には大きな改変が加えられました。伝統の力は後退し、実力が前面に押し出されるようになりました。ですが、それでも一足飛びに「能力がすべて」という風潮が生まれたわけではありません。戦国大名もその重臣たちも、伝統的な勢力から生まれています。世襲の力はまだまだ強力で、伝統・世襲を基礎として、そのうえで能力の有無が問われたのが戦国時代である、といえそうです。

つづく

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー

https://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34544550.html